なぜ、上手くいかない! ノモンハン事件敗因「意図せぬ嘘」

日本軍とは史上最も情報を軽視した軍隊ではないかと思う。
近代装備のソ連軍と対峙したノモンハン事変とそれに続く米英との太平洋域で
の戦争にあって情報に敗れ、その結果として取り止めのつかないような形で敗
戦を迎えるに至ったのである。

軍事オペレーションでは敵に対する被害を極大化し、自らの被害を極小化する
ことが求められる。日本軍は情報を軽視したために、終戦工作の時期も相手も
方法も間違え、我が方の被害ばかりを極大化させた可能性が否定できない。

日本陸軍の参謀本部は作戦中心主義であった。故に陸軍士官学校、陸軍大学校
の成績優秀者は作戦課に席を置くことになり、そこには他の課を圧する絶大な
権限とエリート意識が発生した。
偏頗なエリート意識と権限は唯我独尊の気風から作戦偏重となり、情報が作戦
に追従するといった奇妙な現象が起きているのである。

昭和14年の5月11日にモンゴルと満州国の国境線のいざこざから、ノモン
ハン西方で満州国軍とモンゴル軍が激突したことから事件が勃発した。
第一次、第二次の同事件は停戦の形で終結したが、日本軍は何らの戦果も上げ
ることなく、8千人を超える戦死者を出して完敗したのが実相だと思える。

同事件では日本軍の予想を遥かに上回るソ連・モンゴル軍の攻撃力が敗因であ
る。当初、日本軍はソ連・モンゴル軍の兵力をソ連狙撃一個師団、火砲20~
30門、戦車二個旅団、飛行機ニ~三個旅団、外モンゴル騎兵二個師団程度と
判断しており、この程度のソ連・モンゴル軍に対して第二十三師団その他を派
遣することは「鶏ヲ割クニ牛刀ヲ以ッテセンコトヲ欲シタルモノ」と見てい
た。

しかし、実際のソ連・モンゴル軍は中央集団とし、て狙撃二個師団、狙撃機関
銃一個旅団、砲兵二個連体。日本軍の両翼を扼する主攻撃部隊として、狙撃一
個師団および一個連体、戦車二個旅団および二個大隊、装甲車二個旅団、対戦
車砲二個大隊、自走砲一個大隊、火炎放射戦車一個中隊、モンゴル騎兵二個旅
団に予備隊として装甲車一個旅団、空挺一個旅団という圧倒的な兵力で襲い、
日本軍の戦線は各所で寸断され悪戦苦闘を強いられた。

こうした状況を早くから予想する声もあった。駐ソ大使館付武官の土井大佐は
モスクワからの帰途に観察した情報として「少なくとも狙撃二個師団、重砲等
約八〇門が輸送されつつあるので作戦は慎重に行うべき」と意見を述べた。ま
た関東軍第二課(情報)高級参謀の磯村大佐は「ソ連軍の兵力は約二個師団で
これに対抗するには日本軍も十分な兵力が必要である」と意見具申を行った。
しかし、関東軍の作戦課は、一挙にソ連・モンゴル軍を撃滅しよう意気に溢れ
ているときにそうした意見は不適当であるとした。

要するに自分達の作戦計画に見合わない情報は「兵のヤル気を殺ぐ」という理
由にならない理由で退けたのである。その結果、「ヤル気に逸った兵達は敵の
重戦車に無謀な銃剣突撃を繰り返すはめになり、命を失ったのである」
作戦課は兵のヤル気を思いやったというが、これは結果的に意図せざる嘘を生
み、多大の被害を蒙ったのである。

戦後60年を経た今に至るも、偏頗なエリートの意図せざる嘘に振り回される
現場の悲哀はなお続いているように感じるのは私だけだろうか。

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