一昨年末、1軒の酒屋が廃業した。仮にA店としよう。今、街の酒屋さんは廃業が相次いでいるが、A店の年商は廃業時でも1億円を超えていた。年商3千万円に満たない酒販店が多数存在する中で、実にもったいない話である。

では、なぜ廃業するに至ったのか。直接的な理由はバブル期の投資の失敗である。経営者は、先祖代々からの土地も店舗も手放す結果になったが、東京都下に中古のマンションを購入し、年金だけでは不足する老後の生活費も、多くはないが確保できたのであるから、まずはナイスランディングだったともいえる。

もともと、元金の返済は不要という条件で借りた金であった。バブル崩壊後のお決まりの道筋で、ゴルフ場運営会社の破綻により会員権の担保価値がゼロに、土地等に抵当権の設定を求められるとともに、元本の返済も迫れられることになった。

この時点では、バブル的な一過性の売上がなくなっただけで、売上の減少幅も小さかったこともあり、景気が上向けば売上も回復すると、経営者は楽観していた。さらに、湯水のように使っていた経費や、過大な役員報酬を見直すこともなく、従来どおりの生活を続けていた。一方で、営業活動キャッシュフローで返済を賄うことはできず、相当額の私財を投入する日々が続いた。

A店には後継者がいたが、積極的に経営に関与できるようになったのは、いよいよ私財が底を尽き、数日後の手形決済資金の手当ができないことがきっかけであった。仕入と販売を任せることが権限委譲だと誤解している、典型的な中小企業の例のとおりである。金融機関とのリスケの交渉は、後継者が先頭に立った。具体的な売上増加策、役員報酬はじめ経費の大幅な節減、向こう3年間の売上・利益・資金繰り見通しなどを盛り込んだ資料が金融機関を動かし、一定期間の元本据置と約定返済の減額が承認された。A店は、2~3キロ離れたオフィス街の会議飲食や、某銀行の社員クラブ、某大企業社員食堂の調味料納入など、商圏外の大口取引先依存度が高かった。サラリーマンから転じた後継者が抱いた違和感もそこにあった。なぜ、1次商圏内の家庭との取引をもっと大切にしないのかと。数年前から、商圏内の顧客とのコミュニケーション強化を意識して「若旦那通信」というミニコミ誌を発行し、個人客の売上は増加傾向にあったが、多額の負債には焼け石に水である。

後継者が新たなターゲットとしたのは飲食店である。これまでは、労力の割に利幅が薄いと敬遠していたビールの注文も積極的に受けた。ワインや地酒のメニュー提案にとどまらず、飲食店の歩留まり率向上に寄与する手法にも言及するなどの努力が実を結びはじめた。

しかし、2年後に思わぬ伏兵があった。主要取引先の社員クラブが閉鎖されることになったのである。金融機関の合併により、いずれはと覚悟していたことではあるが、想像以上にその日が早く来てしまった。年間1千万円近い売上を失うことは、A店の死を意味する。

その間に、後継者は中小企業診断士の資格を取得していた。年商に匹敵する負債の完済は、親子4人が酒屋に依存する状態では困難であり、自身はコンサルタントに転身、A店の経営は意思決定のみに関与し、報酬は受け取らない。後継者の妻(同じく無給)を中心に、パート・アルバイトによる店舗運営で、返済原資を捻出しよういう絵を描いていたのである。

中小企業診断士として、既に講師や執筆の仕事も引き受けていた後継者の最初のコンサルティング案件は、「自社の廃業支援」となった。経営者の説得、金融機関との話し合い、不動産会社との交渉、税理士や司法書士との打合せ、顧客の引継など、多岐にわたる業務に忙殺された1年間が過ぎ、現在は独立コンサルタントとして活躍する彼は言う。「もう数年早く経営全般に関与できれば、廃業は避けられた。いまだバブル期の負債を背負う中小企業者は多い。今からでも遅くない、中小企業診断士に相談してほしい」と。

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