商店街の再生 その2

セミナー講師陣の売上UPノウハウ集

商店街の再生とは、そこにある個店の再生をおいて他に無い。

明るい商店街とは明るく元気な店が多いことで成立する。人に地域に優しい街も同じことである。要するに商店街とは個店の集合体として一つの規模を形成しているといものであろう。そうした、商店街に位置する個店の多くが廃業に追い込まれ、空き店舗化が加速しているのが現状だ。

無縁社会が言われる現在、地域の縁を繋ぐ商店街の衰退はそのまま無縁社会化の野放図な進展に繋がり、やがて地域は危機的な状況に陥る。

空き店舗はさらなる空き店舗を生じさせる。
例えとして不適切かも知れないが、空き店舗は地域商店街にとって癌細胞的な存在である。癌細胞は隣合わさる正常細胞を癌化させ、増殖していくという。やがて、生体は死に至る。
空き店舗も同様で、隣が空き店舗になれば、自店のイメージの低下につながることは少なく無い。まばらにシャッターの閉まった店があれば、商店街としてのイメージは大きく下がり、来街者の数は間違いなく減少することになる。

空き店舗という癌細胞を再度の開業に導き、正常細胞に変えなくてはならない。

空き店舗の増加による、商店街の魅力と機能の低減は比例するとは限らない。例えば、商店街全体の店舗数に対して空き店舗の数が1割程度であれば、その商店街の魅力低下、すなわち集客力は1割程度の減少と思って良い。しかし、空き店舗率が2割に達すると、魅力度は3割以上に低下し、それに従って集客数も落ちてくる。その結果、頑張っている店でも相当にきつくなってくる。場合によっては廃業に追い込まれる店も出る。さらに空き店舗が3割を超えると魅力度は一気に半分以下になる。

やがて、空き店舗が半数に達すると商店街としての機能不全を引き起こし、来街者数は往時の三分の一程度にまで減少し、殆どの店が努力の如何に関わらず、極端な苦戦を強いられることになる。

空き店舗対策こそが地域商店街の最も重要な施策である。

商店街の凋落は廃業者にとっても大きな痛手となる。店の価値は立地としての価値であり、手短に言ってしまえば、それは店前通行量の多寡によるものである。

店の前に人通りがあればこそ、立地的な価値を生じ資産価値を生む。土地の資産価値とは自らの努力でつくりだす必要もある。

商店街の空き店舗を放っておくというのは、自らが、自らの資産価値の下落を指をくわえて見ているに等しい。

商店街の凋落を引き起こす。空き店舗の増加の原因を近隣の大型店等の競合関係に求めるケースが多いが、それは一面に過ぎない。最も大きな問題は、個店経営者の高齢化に伴う、意欲の喪失にある。高齢であっても意欲的に経営に取り組み高い成果を上げている人は無いでもないが、それは少数者である。やはり、多くの人にとって高齢による体力的低下や意欲減退による新しいことへの取り組みの不備は隠せないし、そのことが自信を失わせているというのも事実である。

しかし、高齢化により、体力・気力そして意欲が萎えることは決して悪いことではなく、自然の摂理なのだ。悪いのは、自らの限界を知りながら、跡を考えないことだ。

跡、即ち跡継ぎのことだが、多くの個店では後継者難の状態にある。しかし、後継者は何も肉親縁者に限ったものではあるまい。

大家として生き方、資本提携による共同経営、委託経営方式等、考えれば安全で効率的な空き店舗活用の道は沢山ある。

しかし、「そんな魅力の無い商店街に誰が店を出したいものか」という意見もある。それはもっともだが、大事なことは費用対効果であり、事業目的である。

例えば、団塊世代の夫婦がご主人の退職を機に「夫婦で小さなコーヒーハウスをやってみたい」としたら、どうだろう。

この場合、二人の目的は夫婦仲良く、仕事をしたいということであり、変に忙し過ぎても困るだろう。だとしたら、商店街の立地が良いかも知れない。

私は今、三無主義の創業を提唱している。要するに無理、無駄、無茶の無い息の長い創業を目指そうということに取り組んでいる。
三無主義創業でもっとも良いのは居抜き店舗での創業である。それにより、イニシャルコストは大幅に下がる。正常に廃業した居抜き店舗なら早期に取り組めば従来の顧客を新規顧客化できる可能性も高い。

ちょっと、見方を変えてみると、地域商店街は新たな商業立地価値を持ち始めていることに気づく。

新規創業と地域商店街の活性は次世代の街づくりの可能性を孕んでいるということである。

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